ニュースで、若い方が自死で亡くなるということを目にすることが多く、妹のことを考えてしまいます。
家族を自死で失ったことは、残された家族にとって、自分も後を追う、自死するという十分な理由になるのだろうか。
私がまだ生きている理由なんてあるのだろうか。
親や残された兄弟にまた同じような経験をさせたくないということがストッパーにはなっているけど。
ダメだな。悲しい知らせを聞くと、気持ちが悲しい方向へ引っ張られてしまう。
2015年3月に、大事な妹が自死しました。
それでも、自分の寿命が尽きるまで頑張って生きていこう。
日々のことや吐き出しの為のブログ。ネガティブなこともたくさん書いてしまうと思うので、閲覧はご注意ください。
自死で亡くなった方の魂が、そして大切な方を自死で失った方の心が、少しでも癒されますように祈っています。
ニュースで、若い方が自死で亡くなるということを目にすることが多く、妹のことを考えてしまいます。
家族を自死で失ったことは、残された家族にとって、自分も後を追う、自死するという十分な理由になるのだろうか。
私がまだ生きている理由なんてあるのだろうか。
親や残された兄弟にまた同じような経験をさせたくないということがストッパーにはなっているけど。
ダメだな。悲しい知らせを聞くと、気持ちが悲しい方向へ引っ張られてしまう。
突然、
妹が亡くなったあの日のことや、亡くなる数時間前の妹のことが頭の中に映像として思い出されることがあります。
月日が経つうちに回数は減っていますが…。
そして、「あの時、こうすれば、ああすれば、妹は死ななかったのではないか」と考えが消えなくなる。
妹の亡くなる瞬間を想像し、頭から離れなくなる。
1人きりで死なせてしまってごめん、とか、
何を思いながら最後に行動を起こしたのだろう、とか、
ふがいない家族のことを恨んで亡くなったのだろうか、とか、
もっとちゃんと治療について勉強したり、病院に一緒について行ったりすれば良かった、とか。
後悔の念が押し寄せて、離れなくなる。
あの時期、妹の病気の症状が良くなっているのだと思っていた。発作も少なくなり、亡くなる数日前にアルバイトの応募もしていて、
妹はこれからきっと元気になるんだと思ってしまっていた。それが家族の油断だった。
妹に会いたい。
猫の特集で、
中学生の女の子が飼い猫を可愛がる姿が妹にすごく似ていた。
妹も、引っかかれるのも構わず猫にじゃれていたり、
よく猫の体に顔をうずめていたなぁ。